原告・サポーターのみなさま、全国各地で原発訴訟をたたかう仲間のみなさま。
『原告団ニュース第20号』を発行しました。
3月の口頭弁論で裁判長が表明した「訴訟方針」に対して、原告弁護団は裁判官全員の忌避(きひ)を申し立てました。今回の紙面はその経緯と今後の方向性について掲載しました。
ぜひご一読ください。

2018年5月11日
by ok
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2018年5月11日
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原告・サポーターのみなさま、全国各地で原発訴訟をたたかう仲間のみなさま。
『原告団ニュース第20号』を発行しました。
3月の口頭弁論で裁判長が表明した「訴訟方針」に対して、原告弁護団は裁判官全員の忌避(きひ)を申し立てました。今回の紙面はその経緯と今後の方向性について掲載しました。
ぜひご一読ください。
2018年3月27日
by ok
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3月26日(月)、第26回口頭弁論が金沢地方裁判所で行われました。
前回期日で裁判所は「次回は審理の方針を示すことを予定している」と述べていました。原告弁護団は、結審の可能性も含めたさまざまなケースを想定し、それぞれの対応を検討しながら今回の審理に臨みました。
裁判は私たちの呼びかけに応えて多くの原告・サポーターが詰めかけ、傍聴席で裁判所の姿勢に目を光らせる中で、午後2時に開廷されました。
冒頭、加島滋人裁判長は「原子力規制委員会有識者会合の評価書にかかわるデータ拡充は重要であると考えている。施設直下の断層が活断層であるかどうかを判断するには多方面の専門的科学的知見を要するので、規制委員会の判断を待ちたい」と述べました。
3月2日に開催された規制委員会の審査会合では、5本の断層以外にどれを(活断層であるかないかの)評価の対象にするかさえまだ決まっていません。北陸電力は座長の石渡委員から「資料の再構築」(出し直し!)を求められるなど深刻な事態に直面しており、この裁判に資料など出せない状況です。
いつまで待つかもわからない規制委員会(行政)の判断を待たなければ司法の判断を下せないということなら、それは民事訴訟の責任を放棄するにほとんど等しい、と言わなければなりません。
行政が例えば、「あれは活断層だから、志賀原発を動かしてはならない」と判断したらそれでもう終わり、司法判断を待つまでもありません。逆に「あれは活断層じゃない。原発を動かしてもいい」となれば、司法も同じように判断するということです。
要するに「今の裁判体で判決するつもりはない」と明言したも同然です。
岩淵原告弁護団長は直ちにそのことを指摘し、「この裁判は提訴してからもう6年になろうとしている。これは迅速な裁判を受けるというわれわれの権利を著しく阻害するものだ」と述べて、加島裁判長ら裁判官全員を忌避しました。
※「忌避」…裁判官が不公平な裁判を行うおそれがある場合、訴訟当事者の申し立てによってそれら裁判官をその事件の職務執行から排除するもの
これにより審理は一旦中断され、金沢地裁の別の裁判官によって「裁判官忌避」の可否が判断されることになります。
私たち原告団は、今後の進め方について弁護団と十分相談しながら慎重に判断し、5月26日(土)の原告団総会で原告とサポーターのみなさんに提案・協議したいと思います。
口頭弁論終了後、金沢弁護士会館2階ホールで報告集会が開催され、原告・サポーター、弁護団、マスコミ関係者など60余人が参加しました。
上は北陸中日新聞(3/27)下は朝日新聞(同)
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2018年2月4日
by ok
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2月3日(土)石川県女性センター(金沢市三社町)で映画とトークの会が開催されました。「さよなら!志賀原発ネットワーク」と「志賀原発を廃炉に!訴訟原告団」共催によるもので、約300人が参加しました。
最初に映画「日本と原発 4年後」が上映されました。製作・監督は脱原発弁護団全国連絡会共同代表として全国の原発差止訴訟の先頭に立つ河合弘之弁護士。2014年に発表され、県内でも各地で自主上映された「日本と原発」の続編です。
ピラミッドのように積み上がり、ふるさとを浸食し続ける放射性廃棄物。日本でも起こりうるテロや戦争行為で、原発は自国に向けられた核兵器と化します。高浜原発を止めた司法判断、東電元役員に下された強制起訴までの道のり。そして河合弁護士も「仕掛人」の一人である小泉元首相らによる「原発ゼロ、自然エネルギー基本法案」提出の動きなど、この4年間に刻々と変化していく原発をめぐる情況を、余すところなく記録し伝えています。
トークは3.11東日本大震災当日、福島原発から11kmの特別養護老人ホームで勤務中だった石井いづみさん。震災翌日原発が爆発し、確かな情報が得られないまま施設は避難対象区域に取り残されてしまいました。避難先への長距離移動を強いられた150名の入居者、自らも被災者でありながら入居者を守るために尽力した30名の職員の葛藤などなど…訥々とした語り口ながら、ときには福島の方言を交えて聴衆を惹きつけました。
石井さんは「当たり前のように過した日常が、家族が、職場が、実はこんなに感謝すべきものだったのか。私たちはある日突然失ってから、痛いほど身にしみました」と語り、「人間には制御できないものの事故からは何も得られません。悲しみばっかりです。広範囲に、長期に、多くの人々の命にかかわる福島のような事故をもう二度と繰返してはいけない」と訴えました。
北陸中日新聞(2/4)
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