志賀原発を廃炉に!訴訟 原告団ホームページ

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2025年7月15日
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次回(10月1日)に最終弁論~結審か


7月14日、志賀原発株主差止め訴訟(富山訴訟)の第22回口頭弁論が富山地裁で行なわれました。この日の気温は35度を超えて熱中症注意報が発令される中、裁判所近くに集まった原告や支援者、弁護団らは横断幕を掲げて裁判所まで元気に行進しました。

午後3時から始まった裁判ではまず、原告団長・和田廣治さんに対する原告本人尋問が行なわれました。
和田さんは原告弁護団事務局長の坂本弁護士の尋問に応えて、①被告北陸電力取締役らが「再稼働ありき」という考えから、「志賀原発を再稼働したときの危険性や莫大なコストをほとんど検討していなかった」こと、②能登半島地震による5.2mの隆起のすさまじさを裁判官にわかってもらうため、「天井に届く測量棒は危険物」だとして許可しない裁判所に対して、メジャーで裁判所の天井を突き抜けるほどの隆起があったことを実感させ、③北電株主総会において、「馬鹿野郎、引っ込め!ただじゃおかんぞ!」などの怒号・罵声・野次があり、女性の株主がPTSDになってその後何年も総会に参加できなかったほど酷かったこと、④この裁判の途中で亡くなった3人の原告(多名賀さん、小嵐さん、瀧口さん)の無念の思い、などをしっかりと陳述しました(和田陳述書陳述書(2))。

この尋問に対して、被告代理人は数分間の協議を経た後、「被告からの尋問は行なわない」と表明しました。被告側が反証することは難しかった上に、反対尋問をしたら、和田さんに言い返されることが怖かったのかも知れません。

この後、裁判所と原告・被告双方の代理人との間で進行協議が行なわれた結果、原告弁護団は金井 豊氏の被告本人尋問は困難との判断に至りました。
というわけで、当初9月1日に金井尋問を行なう予定でしたがそれが無くなり、10月1日に最終弁論を行なって結審、そして年度内に判決という可能性が高くなりました。

その後、原告・支援者と弁護団はとやま弁護士会館で報告集会を行ないました。


2025年6月1日
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原告団総会を開催しました

5月31日(土)午後1時30分より、石川県地場産業振興センター5F研修室に約100人が集まり、原告団の2025年度総会が開催されました。前年に引続き、Zoomを使ったオンラインでも多くの原告・サポーターが参加しました。

最初に、北野原告団長があいさつしました。
能登半島地震から1年5ヵ月、志賀原発計画が発表されてから半世紀以上が経つ現在、あの地震は私たちのたたかいにとっても北陸電力にとっても、歴史を画するような大きな出来事であり、しっかりとその教訓を生かして廃炉へのたたかいにつなげていかなければならないと訴えました。
そして、つい2週間前脱原発を達成した台湾にいたときの出来事を紹介しました。最後に今年度は私たちのたたかいも大きな節目を迎えることを指摘し、昨年の6.30全国大会の財産を活かしながら今年度の活動を大きく展開していくことを表明しました。

次に来賓として岩淵弁護団長があいさつしました。
岩淵さんは、台湾やドイツが日本の福島原発事故を教訓に脱原発を達成したのに比べ、「日本では逆に原発を推進しようとしていることはまことに情けない」と述べ、福島原発事故で崩壊したはずの「原発安全神話」が復活している現状を強く批判しました。
そして弁護団として、「地震学=何もわかっていない」ということと、原子力規制委員会が審査しない「避難計画=絵に描いた餅」であるという二つの問題を厳しく追及し、志賀原発独自の弱点を大きな争点にして勝訴に向かって全力でたたかう決意を表明しました。


続いて議案審議に入り、第1号議案として柚木事務局長が1年間の活動報告を、岡崎副事務局長が決算報告を行いました。
活動報告では、金沢訴訟の2回の口頭弁論と富山訴訟での4回の口頭弁論についてその内容や課題を報告するとともに、「6.30さよなら志賀原発全国集会」や「12.14市民集会」、「3.16県民集会」の成果を簡潔にまとめ、1年間の活動を総括しました。
また決算報告では、北野団長が全国からの要請により数十箇所にわたる講演を行なった際のカンパが多数寄せられたこと、また「6.30全国集会」が100万円を超える新聞広告を打ったにもかかわらず黒字決算になったことが大きく貢献して次年度繰越金が増えていることが報告されました。
また新年度活動方針では「第3次訴訟」が提案され、役員改選の議案とともに、圧倒的多数の賛成で承認されました。

その後記念講演として、東京新聞福島特別支局長の片山夏子さんが「廃炉の現場から見えてくるもの―福島原発作業員を追い続けた14年間―」と題して講演しました。
片山さんは、「14年が過ぎた今、被曝をしながら働く作業員の人たちには何の保証もありません。故郷に戻れない人の賠償も打ち切られました。そして、事故原因の解明が行なわれたとは言い難く、今もって誰もこの事故の責任を取っていません。未曾有の原発事故が起き、この間にこの国は何を学んだのか、何が変わったのだろうかと思います」と述べて締めくくりました。
片山さんの著書「ふくしま原発作業員日誌」は当日会場で販売され、用意した50冊を完売しました。

講演終了後、「総会アピール」が石川県平和運動センターの代表から提起され、満場の拍手で確認されました。
最後に、新役員を代表して石川県平和運動センターの橘共同代表の決意表明と「団結がんばろう」によってこの日の集会が締めくくられました。

2025年5月27日
by ok
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まだ“規制委の判断を待つ”のか

5月26日、金沢訴訟第45回口頭弁論が金沢地方裁判所で行われました。
久しぶりに晴れた空の下、原告・サポーターらは午後1時半に石川門下の白鳥路利家像前に集まり、横断幕やアピール板を掲げて裁判所まで行進しました。

今回の原告意見陳述は山吹 啓さん。
輪島市街地にある浄土真宗大谷派寺院のお坊さんの山吹さんは二十代のころ、「日本人は核アレルギーが強くて、原子力の平和利用にも反対するのか」という感覚で、原発など核の平和利用は積極的に推進すべきだと思っていました。
そのころ思いがけない出会いがあり、福井県美浜原発のすぐそばに住む漁師から、「温排水を排出する海は、アワビも魚も海藻も化け物の海や。オレは二度と近づかん」という話を聴きました。山吹さんは「人間が人工的に放射能を作るということは自分たちが存在し得ない環境を作り出すことであり、人間の自己否定以外の何物でもない」と気づきます。
そして、能登半島地震での自らの被災体験と、志賀原発沖でも地震が続いている現状から、「志賀原発はこのまま運転せず廃炉にすべき」だと訴えました。

今回原告弁護団は、第59および第60準備書面を提出し、法廷では宮本弁護士が第59準備書面(続・能登半島地震で明らかになった耐震安全性の問題点)の要約陳述を行ないました。
宮本さんは、①志賀原発周辺の断層(とくに海底活断層)について調査が不十分であること、②能登半島地震クラスの地震が原発周辺で発生する相当程度の可能性があること、③敷地内活断層の調査・検討が不十分であること、④故障した変圧器の設計が甘すぎ、それが極めて重大な問題であること、についてパワーポイントを使って簡潔に陳述しました。そして、原子力規制委員会では原発建設を推進する側の電力会社に都合のいい資料しか提出されず、まして規制委の側から独自に調査することはなく、それを元にして裁判所が判断することには極めて問題がある、とも指摘しました。

閉廷後、非公開の法廷で今後の裁判についての進行協議が持たれました。
金沢訴訟の14年間のうち、半分近くが「規制委員会の判断を待つ」ことに無駄に費やされています。これは以前の裁判体が「規制委の判断がでるまで待ちたい」という姿勢だったからです。原告弁護団は現在の裁判体にその考えを聞かせてもらいたいと迫りました。
これに対して裁判所は「争点次第では、規制委の判断とは別に判決を出すことはあり得る」と述べ、原告被告双方に争点を明確にするよう求めました。
進行協議に参加していた原告団長北野さんは「私たちは規制委の判断を聞きたくて裁判をしているわけではない。本件は私たちの人権の問題であり、それを裁判所に判断してもらいたい」と強く訴えました。

法廷は次回の弁論を9月22日(月)14時から開催することを決めて終りました。

口頭弁論終了後、原告・サポーター、弁護団、報道陣らは隣の金沢弁護士会館会館2階ホールに移って報告集会を開催、マスコミ関係者を含め約40人が参加しました。

 

北陸中日新聞(5/27)
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