12月2日、志賀原発を廃炉に!訴訟の第7回口頭弁論が金沢地方裁判所で開かれました。
この日は午後1時30分過ぎに開廷され、最初に、福島から来沢した加畑、頼金両弁護士が原告弁護団の一員として陳述しました。両弁護士は3.11福島第一原発事故が発生したとき、法テラス福島事務所で一緒に働いていました。両氏は原発防災という観点から、「震災直後の福島県の状況について」と題して、原発約60km圏の福島市で自ら体験したことをリアルに語ってくれました。
これまでに経験したこともない揺れがおさまるとすぐ、国道4号線がクルマで埋まってマヒ状態になりました。高速道路も電車も止まり、福島駅には帰宅できない人がごった返している。やがてガソリンが枯渇し、福島市は陸の孤島になりました。そしてこの時点で、スーパーやコンビニの食料や水がなくなります。そこに原発事故が起り、空間線量がどんどん上がっていく。毎時24マイクロシーベルト、通常の500倍の値に達し、水や食糧を確保しなければならないのに外に出歩けない、という状況になります。どのくらい被曝すれば死ぬのか、どのくらいで症状が出るのか、そんな知識もなく、行政の指示もない中で、避難するかどうかの決断を迫られる切羽詰まった事態になりました。
頼金弁護士は、「原発に生活を奪われるとはそうしたもので、今まで当たり前にあった日常の一部が急に欠けて、30年も40年も戻ってこないという話になってしまう。日本中の誰にもそういう思いを繰り返してほしくない」と述べました。
続いて東弁護士と松本弁護士が第15準備書面「原発防災の問題」を要約陳述しました。その中で両弁護士は、防災の欠陥は原発そのものの危険性であると指摘し、現在我が国において想定されている防災対策には多くの重大な欠陥があると述べました。
現実には、住民の少なからぬ放射線被曝を前提とした防災対策しかできていない上に、有事の際に情報収集もできず、住民の避難が大幅に遅れる懸念が多々あります。また複合災害に対する備えも全くできていません。志賀原発で過酷事故が発生した場合、避難が必要となる住民は15万人以上とされています。能登地区12万人余の脱出には「のと里山海道」しかありませんが、同道路は2007年の能登半島地震(M6.9)で10箇所以上の大規模崩壊が発生して寸断されました。
また志賀原発30km圏内にある病院の数は福島とほぼ同数、患者数は2.5倍になります。この人たちの受け入れ体制は何ら規定されておらず、各医療機関に委ねられている状況です。これでは、福島で亡くなった患者の数倍の犠牲が出る可能性があります。自宅療養の方、要介護者、独居老人などの避難に至っては、全く具体策がとられていません。
両弁護士は、こうした多くの欠陥を補って、周辺住民の迅速な避難・身の安全を保障する防災対策をとることは現実的に不可能であることを明らかにし、原発災害は被告が原子力を利用するからこそ発生する「人災」であり、人びとの生命身体を守る手段は原発の稼働を止める以外にないと訴えました。
ところで、今回も被告側からの「反論」が第5準備書面として提出されました。内容は廃棄物処理に関するもので、原告の第7準備書面への「反論」となっています。今の国の計画は、再処理されたガラス固化体を地中深くに埋めて保存管理するというものです。被告北電の主張は第一に、ガラス固化体は再処理の過程で発生するもので、志賀原発の敷地内で発生するものではない(だから自分たちには関係ない?)、第二に、その処理は国によって安全だということが確認されている、という内容で、私たち原告側の議論とは全く噛み合いません。
その後、傍聴者が退廷した非公開の場で、今後の訴訟手続に関するやりとりが行われました。原告弁護団は早く主張を尽くして立証の段階に入りたい旨表明しました。被告側代理人に対して裁判所はいくつかの論点を示して、「いつごろ反論が可能ですか」と問い質したものの、事実上無回答。「北電が12月に予定している、S1断層についての報告書が出た後で反論を準備する」と述べるにとどまりました。
口頭弁論終了後、兼六園下の北陸会館で報告集会が開催され、原告・サポーター、マスコミ関係者など50余人が参加しました。
第8回口頭弁論は来年の2月24日(月)午後1時半から、同地裁で開かれる予定です。
12月3日付北陸中日新聞(左)と朝日新聞(下)
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