志賀原発を廃炉に!訴訟 原告団ホームページ

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2025年6月1日
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原告団総会を開催しました

5月31日(土)午後1時30分より、石川県地場産業振興センター5F研修室に約100人が集まり、原告団の2025年度総会が開催されました。前年に引続き、Zoomを使ったオンラインでも多くの原告・サポーターが参加しました。

最初に、北野原告団長があいさつしました。
能登半島地震から1年5ヵ月、志賀原発計画が発表されてから半世紀以上が経つ現在、あの地震は私たちのたたかいにとっても北陸電力にとっても、歴史を画するような大きな出来事であり、しっかりとその教訓を生かして廃炉へのたたかいにつなげていかなければならないと訴えました。
そして、つい2週間前脱原発を達成した台湾にいたときの出来事を紹介しました。最後に今年度は私たちのたたかいも大きな節目を迎えることを指摘し、昨年の6.30全国大会の財産を活かしながら今年度の活動を大きく展開していくことを表明しました。

次に来賓として岩淵弁護団長があいさつしました。
岩淵さんは、台湾やドイツが日本の福島原発事故を教訓に脱原発を達成したのに比べ、「日本では逆に原発を推進しようとしていることはまことに情けない」と述べ、福島原発事故で崩壊したはずの「原発安全神話」が復活している現状を強く批判しました。
そして弁護団として、「地震学=何もわかっていない」ということと、原子力規制委員会が審査しない「避難計画=絵に描いた餅」であるという二つの問題を厳しく追及し、志賀原発独自の弱点を大きな争点にして勝訴に向かって全力でたたかう決意を表明しました。


続いて議案審議に入り、第1号議案として柚木事務局長が1年間の活動報告を、岡崎副事務局長が決算報告を行いました。
活動報告では、金沢訴訟の2回の口頭弁論と富山訴訟での4回の口頭弁論についてその内容や課題を報告するとともに、「6.30さよなら志賀原発全国集会」や「12.14市民集会」、「3.16県民集会」の成果を簡潔にまとめ、1年間の活動を総括しました。
また決算報告では、北野団長が全国からの要請により数十箇所にわたる講演を行なった際のカンパが多数寄せられたこと、また「6.30全国集会」が100万円を超える新聞広告を打ったにもかかわらず黒字決算になったことが大きく貢献して次年度繰越金が増えていることが報告されました。
また新年度活動方針では「第3次訴訟」が提案され、役員改選の議案とともに、圧倒的多数の賛成で承認されました。

その後記念講演として、東京新聞福島特別支局長の片山夏子さんが「廃炉の現場から見えてくるもの―福島原発作業員を追い続けた14年間―」と題して講演しました。
片山さんは、「14年が過ぎた今、被曝をしながら働く作業員の人たちには何の保証もありません。故郷に戻れない人の賠償も打ち切られました。そして、事故原因の解明が行なわれたとは言い難く、今もって誰もこの事故の責任を取っていません。未曾有の原発事故が起き、この間にこの国は何を学んだのか、何が変わったのだろうかと思います」と述べて締めくくりました。
片山さんの著書「ふくしま原発作業員日誌」は当日会場で販売され、用意した50冊を完売しました。

講演終了後、「総会アピール」が石川県平和運動センターの代表から提起され、満場の拍手で確認されました。
最後に、新役員を代表して石川県平和運動センターの橘共同代表の決意表明と「団結がんばろう」によってこの日の集会が締めくくられました。

2025年3月17日
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「志賀原発は廃炉だ!県民集会」を開催

3月16日(日)午後1時半より、金沢市ものづくり会館2階研修室に約130人が集まり、県民集会が開催されました。集会には多くの県民が詰めかけ、次から次へとイスを追加するのに事務局は大忙しでした。
集会は第1部として、東電福島原発事故の取材を続けている吉田千亜(ちあ)さんの「福島原発震災から学ぶ能登半島地震」と題した講演から始まりました。吉田さんは『孤塁―双葉郡消防士たちの3.11』(岩波書店)で日本ジャーナリスト会議賞などを受賞したフリーライターです。
吉田さんは「原発震災が起ったら、こんな悲劇が待っている」ということを、消防士としての使命感と被曝の恐怖との葛藤の中で、家族への遺書まで書いて福島第一原発の構内に入っていったことを、生々しく丹念に紹介しました。

第2部は「原発震災を考える―あのとき志賀原発の事故が重なっていたら―」と題したパネルディスカッションです。原告団長の北野進さんがコーディネーターを務め、珠洲の狼煙地区で区長を務めている糸矢敏夫さん、輪島で中学校教師をしている鳥井一芳さん、そして吉田さんもパネラーに加わりました。
私たちは大きな地震に原発災害が重なって「原発震災」になったらもうそれで終わり、だから「廃炉しかない」とスローガン的に口にします。それはその通りなのですが、北野さんは原発震災という言葉で想像力が止まってしまっているのではないか、と指摘します。
糸矢さんはもし珠洲原発ができていたらどうなっていたか、狼煙地区は中部電力の予定地からわずか1.5km。そこに住民がいて区長に何ができたのか。逃げ道を探してもどこも通行止め、とりあえず家の中に隠れようとしても半分以上潰れている。糸矢さんは「情報を知らない方が幸せかも知れない」と語りました。鳥井さんも自宅(穴水町)で被災して正月休みが明け、学校への出勤の指示を受けたときの葛藤を語りました。
会場は、参加者が「原発震災」についての議論を深め、志賀原発のリスクをあらためて問う場になりました。

 

 

北陸中日新聞(3/17)
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2024年12月15日
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「今こそさよなら!志賀原発」市民集会を開催

12月14日(土)午後1時半より、金沢市ものづくり会館2F研修室に約100人が集まり、市民集会が開催されました。
集会は原告団事務局柚木さんの司会で進められ、最初に原告団や平和運動センター、社民党など主催6団体を代表して、「さよなら!志賀原発ネットワーク」の中垣代表が開会あいさつを行ないました。
引続き北野原告団長が「能登半島地震から1年―検証!"最後の警告"は浸透したか―」と題して基調報告を行ないました。北野さんはまず、能登半島地震では、過去30年に日本が経験した地震被害がすべて出現した上に、隆起・沈降などの地殻変動も起ったことを指摘し「いつ、どこで、どのような地震が、どのような規模で起きるかわからない地震大国日本に原発は許されない」と訴えました。
またこの1年、日本全国のみならずドイツや台湾でも能登半島地震の教訓を伝えてきたことを紹介しました。そして原子力災害対策指針が破綻したにもかかわらず、見直そうとしない原子力規制委員会や「原発の依存度低減」から「原発の最大限活用」への転換を目論む政府のエネルギー基本計画を厳しく批判しました。
北野さんはまた、11月24日石川県原子力防災訓練の日に実施した「住民アンケート」の結果を報告。能登半島地震を経て、志賀原発を「廃炉にすべき」が増え、「早期の再稼働を」求める声が減少していることを指摘しました。そして最後に、「住民から孤立する北陸電力」や「国民から孤立する原子力ムラ」に"最後の警告"は着実に届いており、「2025年はさらに次の一手を」と呼びかけました。
続いて盛本県議(社民党)が、11月24日の石川県原子力防災訓練監視行動の報告を行ない、地元住民が参加しなかった今年の避難訓練が、防災グッズの見本市・展示即売会の様相を呈していたことなども報告されました。
休憩をはさんで、女川原発、島根原発、柏崎刈羽原発の現地からのビデオメッセージが上映され、「ともに闘いましょう」という呼びかけに会場から熱い拍手が起りました。
報告者と会場との質疑応答・意見交流の後、主催者を代表して石川県平和運動センターの廣田共同代表が閉会のあいさつを行ないました。廣田さんは今年の漢字が「金(カネ)」であったことに触れ、原発を推進する人たちにとっては、私たちの命よりカネが大事なんだと指摘し、何より大事なのは人の命であり、「そのことを子どもや家族・友人、職場の仲間など大切な人に伝えて、地道に一人二人と輪を広げていこう」と訴えて、集会を締めくくりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

北陸中日新聞(12/15)
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