志賀原発を廃炉に!訴訟 原告団ホームページ

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2013年10月1日
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第6回口頭弁論が開かれました

9月30日、志賀原発の廃炉を求める訴訟の第6回口頭弁論が金沢地方裁判所で開かれました。201309地裁へ向かう
今回支援者の入廷をめぐって、ちょっとしたトラブルがありました。新庁舎ではずっと裁判員裁判用の広い法廷だったため、傍聴希望者が全員入廷することができました。今回は狭い法廷であること、傍聴者を抽選で選ぶことが10日ほど前に急に決まりました。
36名定員のところを50人近くの傍聴希望者が列を作り、抽選(旧式で竹棒を引く)が始まりました。ところが、裁判所のミスで当りクジが予定数より少なかったため、落選者が続出しました。職員が途中でそのことに気づいて当たりクジを追加したので、今度はほとんどの人が入場できるという、「厳正な抽選」にはほど遠い、前代未聞の事態となりました。

結果的には、落選者たちの猛抗議によって全員が入廷できましたが、入ってみると、傍聴席の後方に三つほどイスを追加しただけで楽々座れます。裁判所の「権威主義」を実感しました。

午後1時30分過ぎに開廷され、最初に、原告の角三外弘さんが意見陳述しました。角三さんは七尾市在住で、志賀原発から東へ約20kmの地点に住んでいます。能登に住む者にとって、事故を繰り返す原発が近くにあることはとても不安です。2007年の能登半島地震のときは、北電や国の想定を超える地震動が起こりました。たまたま志賀原発1号機は臨界事故隠しによる運転停止命令で、2号機はタービン損傷のため、ともに停まっていて惨事を免れたのです。
201309意見陳述したKさん角三さんは「私たち住民はここに住んでいくしかありません…人は自分の故郷に愛着を持ち、そこで子や孫を育て、地域の人たちとの交流の中で生きていくのです」と語りました。しかし今や地域住民のそうした願いは福島原発事故で踏みにじられ、原発難民が大量に作り出されています。
角三さんは最後に、没後100年になる田中正造の言葉「真の文明は、山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし」を引用し、裁判官に対して、事実を直視し圧力に屈することなく、公正な判断をするよう求めました。

続いて吉田弁護士らが第14準備書面「原発の耐震設計総論―地震の基礎―」を要約陳述し、地震とはどういうものかという基本的な事柄を説明しました。ここでも裁判所の不手際が露呈しました。陳述は多くの動画を使ったパワーポイントで説明されたのですが、それを見ることができたのは裁判官のみ。傍聴者は事務局から配られたプリント紙を見るしかありませんでした。終了後北野原告団長は、「あのパワーポイントをぜひ被告にも見てほしかった」と慨嘆しました。

その後、今後の訴訟手続に関するやりとりが公開で行われました。次回原告弁護団は「防災計画」に関する主張をする旨表明しましたが、被告北陸電力は内容に触れないまま「順次反論をしていきます」と述べただけでした。

ところで、今回初めて書面で被告側からの反論が提出されました。まず最初の書面(準備書面3)では、「原子力発電所の必要性」について書かれています。私たち原告の「原発の不要性」の主張(第6準備書面)に対して、「そんなことはない。そもそも電力会社には電力供給義務があって、現在北電が持っている火力や水力発電でここ数年は何とか持ったが、安定的な供給には足りない。火力発電所のトラブルなどがあれば電力需給は逼迫するし、再生可能エネルギーは間に合わない」などと述べています。「こんなことを今ごろ言うのか」と言いたくなるような内容です。
二つ目はS1断層についての書面(準備書面4)です。原告の「志賀原発直下に活断層がある」という主張等(第1準備書面)に対して、認否を争うことを表明しました。しかし同断層調査の最終報告―またまた延期されて12月提出の予定―が出てからあらためて主張を行う(それまで待ってほしい)、というものです。

口頭弁論終了後、兼六園下の北陸会館で報告集会が開催され、原告・サポーター、マスコミ関係者など60余人が参加しました。
201309報告集会2

第7回口頭弁論は12月2日(月)午後1時半から、同地裁で開かれる予定です。

北陸中日新聞 10/1

 

 

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 左は北陸中日新聞(10/1)
 下は朝日新聞(同)
朝日新聞 10/1

2013年7月26日
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第5回口頭弁論が開かれました

7月25日、志賀原発の廃炉を求める訴訟の第5回口頭弁論が金沢地方裁判所で開かれました。
33℃を超える日差しの中、兼六公園下白鳥路入口の小公園に集まった原告・サポーターと支援者たちは、横断幕「志賀原発を廃炉に!再稼働は認めない!」を掲げて地裁まで行進し入廷しました。

午後1時30分過ぎに開廷され、最初に、原告の古河尚訓(ふるかわまさのり)さんが意見陳述しました。201307意見陳述した古河さん
古河さんは今年3月まで、白山市議会議員を三期11年余勤めました。古河さんは福島原発事故から一年半後の昨年10月、福島県飯舘村を訪問したときの様子から話しました。同村は福島第一原発から30~45km離れていますが、放射線量が異常に高いことがわかり、一ヶ月後に「計画的避難区域」に指定されました。その間、村民は情報を知らされず、無用な被曝を強いられたのです。「あっという間に村民全員避難という事態になり、将来が全く見えない」という自治会長の言葉を聞いて、古河さんは「30km圏外だから大丈夫」などという机上の計算では人の命は守れないことを実感しました。
古河さんは、エネルギーの地産地消を完結しているドイツの農村を視察した話や、小水力発電や木質バイオマスの活用など、自然環境を生かした再生可能エネルギー開発に向けた議会での取り組みを紹介し、北電が新基準達成のための安全対策に注ぎ込んだ600億円という巨額の費用は、そうした再生可能エネルギーを開発するために使うべきだったと指摘しました。そして同社に対して、「倫理とお金」双方を冷静に分析し、再稼働を断念するよう求めました。
続いて弁護団の鹿島弁護士が第13準備書面「福島第一原発における地震動に起因する重要機器破損の可能性」を要約陳述しました。鹿島さんは国会事故調査委員会の報告書を引用しながら、福島第一原発事故の原因が現時点でも判明していないのに、全交流電源喪失の原因が津波であるとする東京電力報告書の不合理性を明らかにしました。そして地震動によって原子炉圧力容器に直接つながっている配管が破損し、冷却材喪失事故に発展した可能性が否定できないことを示しました。福島第一原発における地震動は新指針に基づく基準地震動とほぼ同等の「想定内の」地震動でした。この程度の地震動で配管が破損していたとすれば、全国の原発すべてで機器の取り替えが必要になります。
被告北陸電力が福島原発事故を踏まえて実施した緊急安全対策はいずれも、事故の主因を津波とした上での対策であり、地震動によって重要機器が破損した可能性については一切考慮されていません。鹿島さんは「これで危険性が払拭されたとは到底言えない」と述べました。

その後、訴訟手続に関するやりとりがありました。「次回の弁論はどうしますか」という裁判所の問いかけに対して、これまで一切反論の気配を見せなかった北陸電力は、「今後順次反論をしていきます」と述べました。次回以降、原告が主張して被告が反論し、原告がまた再反論するという、訴訟本来の姿にようやく戻ることができそうです。

口頭弁論終了後、兼六園下の北陸会館で報告集会が開催され、原告・サポーター、マスコミ関係者など50余人が参加しました。201307報告集会

第6回口頭弁論は9月30日(月)午後1時半から、同地裁で開かれる予定です。

 

 


北陸中日新聞 7/26朝日新聞 7/26

 

 

 

 

 

 

 

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意見陳述した雄谷さん

2013年5月28日
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第4回口頭弁論が開かれる

5月27日、志賀原発の廃炉を求める訴訟の第4回口頭弁論が、新庁舎となった金沢地方裁判所で開かれました。今回は裁判員裁判用の広い法廷で開かれたため、従来のように傍聴者を選ぶ抽選はなく、支援者全員が入廷できました。
201305報告集会

最初に、原告の雄谷健一さんが意見陳述しました。
雄谷さんは今は金沢に住んでいますが、志賀町出身で、20年あまり同町で暮らしていました。雄谷さんは1990年の町長選挙を契機に原発反対運動にかかわるようになり、子どもや孫たちを守りたいという一心から、約300人で「子どもたちの未来を考える父母の会」を結成しました。仲間と一緒に町や県に防災計画の充実を要望するとともに、放射線測定器やヨウ素剤の購入、避難マニュアルの作成などを行いました。各地の原発への視察も実施しました。
しかし何度署名や請願書を提出しても、県や町の対応は「国の指針」に基づいているという一点張りで、住民の不安を解消するにはほど遠いものでした。変わらない「原子力ムラ」やマスコミ、世論。そして「原発マネー」にどっぷり浸かった町の現状にうんざりし、子どもが志賀町から巣立っていくとともに、いつしか運動から距離を置くようになっていました。
そんな雄谷さんを目覚めさせたのが、3.11東日本大震災による福島原発事故でした。「全交流電源喪失」「メルトダウン」というまさに自分たちが懸念していた事態が現実となり、原発事故の真の恐ろしさを見せつけられました。住民を守るための避難指示計画は何ら実効性がなく、多くの人びとに無用の被曝をさせてしまい、電力会社や国の危機管理能力の欠如を知らされました。
雄谷さんは「志賀町には今も私の母や妻の両親と親戚、友人たちが多く住んでいます。その人たちの子や孫もいます。志賀原発が福島のようにならないという保証はどこにもないはずです」と述べ、「『廃炉』にするのが最も確実な安全対策」だと訴えました。

続いて弁護団が今回提出した準備書面の要約陳述を行いました。最初に坂本弁護士が第10準備書面(「緊急安全対策」などの危険)について陳述しました。
北陸電力は「福島第一原発事故を踏まえた緊急安全対策」等を講じたから、あのような事態が生じることはないとして、志賀原発の安全性を強調しています。しかし福島第一原発の事故は現在も進行中であり、原子炉内部の状態も確認できません。被告・北陸電力自らが準備書面の中で、同事故の原因が「現時点では判明していない」ことを認めています。事故原因が不明のまま、事故の再発防止対策を打つことができないのは自明の理です。
坂本さんは「全交流電源喪失および海水冷却機能喪失」が発生した場合、被告が代替措置としている注水で炉心を冷やすことは不可能であることを、福島原発事故の際の実態に即して具体的に指摘しました。また圧力容器内に給水するためには、高圧水蒸気を「格納容器ベント」によって外に排出せざるを得ませんが、このベントによって、放射性物質を含んだ水蒸気を外に撒き散らすことになります。そういうことを前提にした対策は安全対策の名に値しない「欠陥商品」だと主張しました。

最後に荒木弁護士が第11準備書面(原発に求められる安全性)について陳述しました。
被告は原発が備えるべき安全性の内容について、その危険性を「社会通念上無視しうる程度に小さなものに保つこと」であると主張しています。荒木さんは「社会通念」というあいまいで不明確な概念を用いることには重大な問題があること、被告が引用する伊方原発訴訟最高裁判決(1992年10月)の問題点を指摘し、被告の主張する安全性が妥当でないことを示しました。その上で、私たち原告の考える原発の安全性は「重大な災害、過酷事故が万が一にも起こらないようにする」ための安全性である、と主張しました。
たとえば自動車は事故により毎年多くの死者を出しますが、その損害の範囲は限定されており、保険制度によってその損害は一応補填されます。それゆえに社会内で許容されているのです。
これに対して、原発事故がもたらす損害が他の近代的技術とは質的にも量的にも異なり、福島原発事故をみれば、その損害を補填することは到底不可能だということは明らかです。甚大な被害を及ぼし社会そのものを破壊する危険性を甘受しながら、原発を使い続けなければならない理由など全くない、と指摘しました。

これに対して被告北陸電力側は原告弁護団や裁判所の要請にもかかわらず、前回同様、最後まで反論するという姿勢を見せませんでした。徹底的に引き延ばしをはかり、福島原発事故の「記憶の半減期」を待っているとしか思えません。

第5回口頭弁論は7月25日(木)午後1時半から、同地裁で開かれる予定です。