志賀原発を廃炉に!訴訟 原告団ホームページ

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2022年11月10日
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志賀町からの回答についての見解

「原子力防災計画・避難計画に関する質問書」に対する志賀町からの回答

1.本年4月末に提出した質問書に対して、11月7日、上記のとおり、文書で回答があった。志賀原発は停止中とはいえ、いま現在も使用済み核燃料を含めた核燃料が、直下の断層の活動性が指摘される原子炉建屋の中に保管されている。原子力防災は再稼働を巡る大きな争点であると同時に、まさに現時点での課題でもある。質問が多岐にわたるとはいえ、回答までに約6カ月もの時間を要したこと、それ自体が原子力防災の運用に大きな不安を与えるものであると、まず指摘しなければならない。

2.質問書は、志賀原発の原子力災害に対して、防災計画の目的に掲げる「住民等の生命、身体及び財産を保護」が果たして実現できるのか、現時点での到達点、未達成の課題について確認するものである。志賀町の原子力防災の大きな特徴は、国の指針や県の計画に単純に追従することなく、独自に「PAZ、UPZの一斉避難」、「全町白山市避難」、「風向きによる避難」を追求している点にある。これ自体は町民の安全・安心を守ろうとする小泉町長の苦心の表れであり、国の指針や県の計画に対する大きな問題提起でもあると私たちは受け止めている。

3.ただし、現行原子力防災体制は、国や県はじめ数多くの防災関係機関との協働、連携のもとで成り立つ仕組みとなっている。志賀町独自の方針は、実際の原子力災害に直面したとき、果たして機能するのか、残念ながら数々の疑問点も指摘せざるを得ない。また、毎年実施される防災訓練に反映されたこともなく、関係機関や地域住民への周知も明らかに不十分である。

4.以上を踏まえ、回答の問題点、注目点を以下指摘する。
(1)「PAZ、UPZの一斉避難」について【質問3(1)】
全面緊急事態でPAZは一斉避難、UPZはまずは屋内退避という段階的避難は、実際に災害に直面したとき成り立つのか、私たちも大いに疑問を抱いている。町民の線引きを避けたい町長の思いは十分に理解する。しかし、果たして一斉避難で大渋滞など混乱は起きないのか、移動手段は迅速に確保できるのか、疑問は解消していない。なにより、志賀町民の一斉避難を周辺自治体住民は屋内退避で見守るというシナリオは、周辺自治体の理解を得られるのだろうか。「今後、協議する」とのことだが、国の指針や県の計画の根幹に抵触する重要課題が、いまだ協議されていないことにも驚きを覚える。

(2)「全町白山市避難」について【同じく質問3(1)】
背景には半島先端方向への避難による孤立化の不安がある。できれば避けたい、特に風向きが半島先端方向への場合はなおさらである。しかし、白山市への避難となると富来地域住民は原発に近づくこととなり、果たして安全な避難行動は実現するのか。回答は「発電所の状況を継続的に把握し、状況に応じて判断する」(3(1)ア)とのこと。仮に実現可能なケースがあるとしても、その判断は町独自でできるのか。また、渋滞問題も含め、全町一斉、同一方向への避難には多くの課題が付随する。町民の安全の確保、不安の解消への思いは理解するが、現状は具体策の無い理想論ではないか。

(3)風向きによる避難について【質問3(2)】
県が想定する「気象条件」により受け入れ困難な場合とは、大雪等で交通が遮断された場合などであり、風向きによる避難先の選択は含まれていない。一方、志賀町は問2(2)の回答にあるように、避難方向を判断するにあたって風向きも考慮するとしている。風向きを考慮した避難は基本的には正しく、住民の安全を守るため、あらゆる可能性を追求したいという思いは共有したい。ただし、地勢的に避難方向の選択肢がほとんどない原発以北の能登地域で、どこまで風向きを考慮すること可能だろうか。そういう場所になぜ立地したのかという根本問題に向き合わざるを得ないのではないか。

(4)問4.5.6.7.8.9.10.11について
防災計画・避難計画に記載された項目を、生活の実態、地域の実情に即して具体的に掘り下げると、多くの検討課題が残さていることが明らかになった。
例えば小中学生の引き渡しも職場の事情、家庭の事情でどこまでスムーズにいくかわからない。高校生になるとさらに事情は複雑となる。要支援者の避難体制の確立は、避難行動時に死亡者を出した福島の大きな教訓だが、体制が整っているとは到底言えない。想定する長期避難の期間については回答がなかったが、原子力災害の現実を直視するうえでも、住民への周知は不可欠である。

5.問1(1)では「より高い実効性の確保に向けて検証を続けてまいりたい」との回答だが、現状は、防災計画の目的に掲げた「住民等の生命、身体及び財産を保護」の実現には程遠く、再稼働の議論が先走りするようなことは決して許されない。
 問12で提起した武力攻撃というリスクも避けては通れない。今回は、この回答について深掘りし議論する機会を設けることはできなかったが、今後も質問書提出の取り組みは継続し、原子力防災を巡る諸課題について、自治体関係者はもちろんのこと、多くの皆さんと議論を深めていきたい。

2022年10月28日
by ok
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中能登町に質問書を提出

10月26日、原告団は県内4団体とともに中能登町役場を訪れ、「原子力防災計画・安全協定に関する質問書」を提出しました。七尾市、羽咋市に続き、3箇所目の自治体訪問です。
当日同行したのは、原告団のほか「さよなら!志賀原発ネットワーク」や石川県平和運動センター、原水禁県民会議、社民党県連の代表に加え、地元の住民二人を含めて7名。公務のため宮下為一町長は出席できず、高名参事兼総務課長ほか3名の担当職員が約1時間半にわたって対応しました。

「志賀町と同等の権利」を盛り込んだ安全協定の締結について、高名参事は「七尾市、羽咋市と連携して取り組んでいく」と述べました。立地自治体と同等の権利という場合、それは再稼働の同意権とトラブルがあったときの措置要求権です。中能登町の主体的判断が求められますが、「3首長が集まって協議したことはないので、今は連携していくとしか言えない」とのことでした。
防災計画・避難計画についても、「国や県との連携を図っていく」という言葉が繰り返され、「町民の安全が守れるかどうかの判断はまずもって町が行なうべき」との指摘に対しても、「国や県の計画をもとに訓練を重ねながら検証していく」という発言に終始しました。

原告団の北野団長は、中能登町議会で原発関係の質問が志賀町や七尾市、羽咋市などと比べてかなり少ないことを指摘し、議会や町民の関心が低いとしたら町が一歩踏み出し、「事故は起こる」ことを前提に町民に問題点を突きつけ、覚悟を迫ることも必要ではないか、と訴えました。
また「さよなら!志賀原発ネットワーク」の中垣代表は、今日は「県や国と連携して…」ばかり聞かされたが、原子力防災に関して町でできることはいくらでもある。そこは町で独自に方針を立てて実行してほしい、と求めました。

 

北陸中日新聞(10/27)
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2022年8月26日
by ok
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羽咋市にも質問書提出

8月25日、原告団は県内4団体とともに羽咋市役所を訪れ、「原子力防災計画・安全協定に関する質問書」を提出しました。未だ回答していない志賀町、先月の七尾市に続き3箇所目の自治体訪問です。
当日同行したのは、原告団のほか「さよなら!志賀原発ネットワーク」や石川県平和運動センター、原水禁県民会議、社民党県連の代表に加え、地元羽咋市や宝達志水町の住民、浅野羽咋市議を含めて計12名。残念ながら岸博一市長は出席せず、山本総務部長など3名の担当職員が約1時間20分にわたって対応しました。
予め送付された「質問書」に市担当者が口頭で回答し、それに対して参加者が質問や意見、要望を述べる形で進行しました。

最初に環境安全課長が「原発は一酸化炭素を排出しないため、地球温暖化防止の観点からも優れている」と、どこかで聞いたような話を始めたので、参加者一同びっくりしました。
しかし引き続いて同課長は、山辺前市長が北陸電力に求めた「再稼働の事前了解など、立地自治体である志賀町と同等の権限を持つ安全協定の締結を七尾市・中能登町と共同で求めていく方針は岸市政でも変わらない」と回答しました。

原水禁の中村さんは「2011年3月まで、世界でも日本でも驚くような原発の安全神話がまかり通ってきた。騙(だま)されてきた結果が福島原発事故だ」「原子力規制委員会のトップですら、新規制基準をクリアしたから安全だとは言っていない」と反論しました。
原告団の北野さんは「国や県の防災計画は、ある程度の被曝を前提とした避難計画。それにしたがって市が『被曝やむなし』とするなら、ちゃんと市民に説明すべきだ。『羽咋市民の安全が守れないので、再稼働しては困る』とハッキリ言うために、同意権を獲得していくことが重要だ」と指摘しました。
地元羽咋市在住のIさんは津波に対する市のハザードマップを示しながら「原発事故の際の避難計画についても、安定ヨウ素剤の配布・服用を含めてこれくらい詳細なパンフレットを作って周知してほしい」と求めました。
福島から金沢に避難してきた原告団の浅田正文さんは、11年前の避難の際に戸惑い途方に暮れた経験を具体的に語り、「万一の際の自治体職員の注意喚起が大切であり、それが地域住民の運命を左右する」とを訴えました。
市職員のみなさんが身を乗り出して聴いていたのが印象的でした。