3月16日(土)午後2時より、石川県地場産業振興センター第5研修室に約160人(オンラインでも全国から数十人)が集まり、「大断層に囲まれた志賀原発にさよなら集会」が開催されました。
主催6団体を代表して、「さよなら!志賀原発ネットワーク」の中垣代表のあいさつに続き、「いま改めて問い直す 志賀原発の危険性―2号機差止判決から18年―」と題して、井戸謙一弁護士が講演しました。井戸さんは2006年3月、日本で初めて稼働中の原発に差止判決を下した元金沢地裁の裁判官です。
井戸さんは志賀2号機訴訟の審理経過を振り返りながら、地震想定が不十分だったことが差止めの理由だったと詳しく説明した上で、その後の経緯や一審判決の意義をわかりやすく語りました。
次に能登半島地震の「3つの幸運と2つの教訓」として、志賀原発が震度7を免れたこと、敷地の隆起を免れたこと、極端な短周期地震動に襲われなかったことが幸いし、多数のトラブルを発生しつつも大事故に至らなかったと述べました。
また教訓として、地震のことはよくわかっていない(活断層の存在、規模、連動の可能性など)こと、そして避難計画は「絵に描いた餅」であり、家屋の倒壊で屋内退避はできず、道路が寸断されて避難もできず、空路も海路もダメなことを指摘しました。
井戸さんは最後に「珠洲の人たちは日本を救った。地震国に住む私たちの命と生活を守るために、原発は終焉を迎えさせなければならない」と述べて締めくくりました。
第2部では、最初に「志賀原発を廃炉に!訴訟」の北野原告団長が活動方針を提起しました。その中で能登半島地震から半年後の7月、石川県で原発の廃炉をめざす全国集会を開催することを提案しました。北野さんは2月29日に行なった内閣府や経産省、規制庁への中央要請行動について報告するとともに、能登半島地震から半年後を目途に、石川県で志賀原発の廃炉を求める全国集会を開催することを提案しました。そして、能登の復興に志賀原発はいらない、北陸に原発はいらない、地震大国日本にもう原発はいらないと述べ、被災地から志賀原発を廃炉にする運動をその先頭に立って切り拓いていく決意を明らかにしました。
続いて、原発立地現地から堂下志賀町議が、中能登地域から笹川さんが、奥能登地域から神戸さんが、学校現場から山本高教組委員長が、Zoomで柏崎刈羽原発から星野柏崎市議が、それぞれ現地からの報告を行ないました。
また、的場石川県平和運動センター共同代表と盛本社民党石川県連代表が力強く決意表明を行ないました。
最後に「集会アピール」を全国一般労組の出口さんが提起し、満場の拍手で確認されました。そして平田石川勤労協会長の発声で「団結がんばろう」を三唱して集会を締めくくりました。