4月23日、志賀原発を廃炉に!訴訟の第9回口頭弁論が金沢地方裁判所で開かれました。
裁判は午後1時30分に開廷され、最初に富山県平和運動センター議長で、原告団副団長でもある山崎彰さんが意見陳述しました。
山崎さんは連合(日本労働組合総連合会)が脱原発運動を取り組めない中で、平和運動センターが連合傘下の労働組合の3分の2を含め、123組合が参加して脱原発の運動を繰り広げていることを紹介しました。
平和運動センターは「被災した親子に笑顔を」を合言葉に、福島の子どもたちの保養活動に取り組んでいます。春、夏、冬休みに数百名の子どもたちを空気のきれいな富山へ一時疎開させる取り組みですが、これは本来なら、事故を起した電力会社の労働組合が取り組むべき課題だと思います。北電の保養所を開放してほしいとお願いしたところ、「北電社員のためのものだから…」と断られたそうです。
山崎さんは、福島原発事故が起ってから、原発の安全を求める要請行動の参加者に対して北陸電力が初めて社屋内で対応したことを明らかにし、「そんなにしてまで再稼働しなければならないのか、命より経済が大事なのか」と訴えて陳述を締めくくりました。
今回から裁判長が代ったため、弁護団長である岩淵弁護士が、弁論更新(今までの弁論の要点紹介)を行いました。今度の藤田裁判長がこの訴訟の判決を書く可能性が高いことから、岩淵さんはこれまでの弁論の中でどうしてもわかってもらいたい点に絞って陳述しました。
第一に、福島原発事故は幸いにも水蒸気爆発でなく水素爆発で済んだけれども、3年経ってもまだ13万人が故郷に帰れない。こんな被害を与える施設・科学技術はほかになく、これが原発被害の特質だということ。第二に、事故後に新規制基準ができたけれども、地震対策については根本的に変わっておらず、また同じことが起る可能性が十分あること。第三に、原発はもう必要ないというのが世論の大勢であり、とくに北陸電力は原発を稼働しなくても他の電力会社に融通できるほど電気の予備率が十二分にあること。第四に、これまでの原発裁判は安全保安院などの科学者の言うことを信じて原告の請求をほとんど退けてきたが、これは科学が決める問題ではないのではないかということを、今回提出した第20準備書面「科学の不確実性と司法判断」を要約しながら話しました。
たとえば東日本大震災のマグニチュード9を想定できなかったとして、原発の耐震安全性を審査する国の作業部会の委員を辞した纐纈一起さん(東大地震研)は「信念の根拠となるべき科学に限界があることが明らかになった」と語っています。地震学のような「作動中の科学」ではわからないことがいっぱいあります。岩淵さんは、今までのように科学者の言うことをいいとしてきた判断の枠組みを変えなければダメだということを強調しました。
続いて、荒木弁護士が、第21準備書面「あるべき新たな司法判断の枠組み」について要約陳述しました。荒木さんは第20準備書面の主張を受けて、「今までの司法判断の枠組みをどのように変えなければならないか」について述べました。
原発裁判は今まで建て前は被告側が安全性を立証するようになっていましたが、電力会社は「わが社は国の法律にしたがって基準をクリアしているから安全です」と主張し、裁判所もそれで安全性立証を認めてきた経緯があります。原告側は危険だということを一から立証しなければなりませんでした。
荒木さんは伊方最高裁判決の枠組みを生かして、それを形式的に踏襲するのではなく、実際の運用として被告側に厳格な立証を求めるべきだと主張しました。
弁論終了後の訴訟進行協議の中で裁判長は、この準備書面について「これは非常に重要な論点だと思います」と述べ、被告に次回ちゃんと反論するように求めました。
今回被告北陸電力は第7準備書面(地震の一般的・学術的な見解に対して、おおむね認める内容)と第8準備書面(原告の海底探査書面の要求に対し、在処を示したもの)を提出しただけで、実質的な反論の書面がまだありません。
この点について問い質したところ、被告側からは「規制委員会の適合審査が終わらないと、新基準についての反論はできない」と述べました。いつ出すかもわからないが、再稼働申請まで待ってほしいというわけです。それではいたずらに訴訟が空転し、長引くだけです。そんなことを認めるわけにはいきません。
弁護団としては、「早く反論しろ」と迫り、反論できないなら早急に立証に入っていくように求めていくつもりです。
口頭弁論終了後、兼六園下の北陸会館で報告集会が開催され、原告・サポーター、マスコミ関係者など50余人が参加しました。
次回口頭弁論は7月10日(木)、午後1時半から同地裁で開かれる予定です。
朝日新聞(左)、北陸中日新聞(右)
※クリックすると拡大します