2月24日、志賀原発を廃炉に!訴訟の第8回口頭弁論が金沢地方裁判所で開かれました。
裁判は午後1時30分過ぎに開廷され、最初に原告の浅田正文さんが「何処で死ぬのか」と題して意見陳述を行いました。
浅田さんは早期退職後、福島県都路村に夫婦で移り住んで自然農業を営み、自給自足の生活をしていました。それが3.11福島第一原発事故によって一瞬にして奪い去られてしまいました。浅田さんはパワーポイントの美しい画像で、事故前の自然豊かな生活を紹介しました。そしてそれと対比させて、事故後の変わり果てた様子を映し出しました。
福島と金沢を行き来している浅田さんは、「福島の今」を命・健康、こころ、生計・生活、自然環境の4つの側面から語りました。事故からもう3年にもなりますが、未だに13万人もの人々が避難生活を強いられています。働き手や高齢者を故郷に残して母と子が避難し、二重生活を送っている家族。一家揃って避難しても、避難先での就職は年齢制限、職種などの高いハードルがある。自給していた米や野菜をすべて購入せざるを得なくなり、生計に破綻をきたした人も少なくないのです。
長期にわたる避難生活のため、家族間の意見の対立やストレス、すれ違いなどが原因で家庭崩壊に陥ったり、コミュニティが分断される深刻な例は枚挙にいとまがありません。福島の子どもたちは被曝を避けて外を出歩くことがめっきり減ってしまったため、すぐ転ぶ子、扁平足の子、運動不足、肥満の子が増えています。
浅田さんは「今は福島のこと、いつかはあなたの町のこと」と映したスライドを背景に、裁判長らに向かって、「生活を根こそぎ奪われた被害者の心をかみしめていただきたい」と訴えて締めくくりました。
続いて、昨年末に弁護士登録をしたばかりという新谷弁護士が、第16準備書面「原発事故による被害」を歯切れよく要約陳述しました。
新谷さんは福島第一原発事故の経験を踏まえ、原発で過酷事故が起こった場合、非常に広範囲にわたって回復不可能な被害が生じること、また放射性物質による健康被害以外の被害も深刻であることを明らかにしました。
避難所生活でのストレスや持病悪化、病院の機能停止による初期治療の遅れなど、間接的な事情により亡くなった震災関連死は福島県で1600人超にのぼり、直接的被害(地震による建物倒壊や津波などが原因)を上回っています。
たとえば、震災の1ヶ月後、避難区域の海岸で見つかった遺体を衰弱死と診断した医師は「津波だけなら助かった。助かる人を死なせたのは原発事故です」と話していました。
また「原発さえなければ」と牛舎の壁に書いた酪農家や、「お墓に避難します」という遺書を残した女性など、人生をかけて取り組んできた生業や家族との穏やかな生活を原発事故で失ったことによる「震災関連自殺者」は、累計で44名にも上ります。
さらに原発事故は人々が生活していた土地を奪い、日常生活およびコミュニティを崩壊させました。
政府の避難指示などによって避難した人は14万6千余人、自主避難者は約5万人。現在も13万人以上の住民が故郷を奪われた生活を余儀なくされています。住民は生業を失い、住処を失い、先祖代々受け継いできた土地や伝統を失いました。各地域が脈々と築き上げてきた歴史・文化と、それを背景とした住民同士の密接なつながりが根こそぎ破壊されました。
産業にも深刻な影響を及ぼしました。多くの農畜産物・水産物から暫定規制値を超える放射性物質が検出されて出荷が制限され、近隣地域までもが買い控えや取引停止などの「被害」を受けました。福島県は一部の「試験操業」を除き、現在も県沿岸での操業を自粛しています。
福島第一原発からは現在も放射性物質が環境中に放出され続けており、汚染水漏洩のニュースは後を絶たず、収束したなどとは到底言えません。被害は際限なく拡大し続け、最終的にどれほどの規模になるのかもわかりません。
フクシマではメルトダウンが起きたにもかかわらず、幸いにして(偶然にも)水蒸気爆発は起きませんでした。最悪のシナリオでは、水蒸気爆発が起きて格納容器が吹っ飛び、今の数倍の放射性物質を放出して首都圏までもが汚染され、破滅的な事態になっていたかもしれないのです。
新谷さんは、志賀原発で過酷事故が起きた場合、より深刻な被害が生じる可能性は十分ある、と主張しました。
続いて川本弁護士が 第17準備書面 ―新規制基準における「震源を特定せず策定する地震動」について、いささか難解な内容を噛み砕きながら要約陳述しました。
川本さんは日本全国どこでも、活断層が確認できない場所でも地震が起きる可能性があり、マグニチュードが小さくても大きな揺れになる場合があることに言及しました。
たとえば、震源を活断層と関連づけられない過去の地震の中で、2004年に北海道で起きた留萌支庁南部地震はM5.7でした。2007年の能登半島地震(M6.7)と比べるとそのエネルギー量はおよそ30分の1です。それほどの小さい地震だったにもかかわらず、そこで観測された地震動は1127ガルというとてつもないものでした。現在志賀原発で想定されいる揺れは600ガルであり、留萌支庁南部地震と同じ地震動が起きたら、志賀原発はおそらく過酷事故を起します。
志賀原発の近くで大きな地震が起きて、しかも揺れがさらに増幅されるような効果(破壊伝搬効果)が起きたときにはどこまでの揺れにさらされるのか、その備えについて明らかにすることを被告北陸電力に求めた(求釈明)のがこの書面です。
その後、今後の訴訟手続に関するやりとりが非公開で行われました。
裁判所からは、今後の弁論に関する要望が原告被告双方にありました。われわれ原告側には、今回被告が提出した第6準備書面(昨年末に規制委員会に提出した最終報告を要約したもの)に対する反論が求められました。弁護団としても、S-1断層に関する主張を組み立てながら提出するタイミングを計っていたところです。
被告北電側に対しては、今回の第17準備書面(求釈明)についての回答をはじめ、原告側が出している数多くの書面に対する反論が求められました。被告側は次回地震についての知見に関する反論を出すと述べましたが、その他については明言を避けました。
口頭弁論終了後、兼六園下の北陸会館で報告集会が開催され、原告・サポーター、マスコミ関係者など50余人が参加しました。
次回口頭弁論は4月23日(水)、次々回は7月10日(木)、いずれも午後1時半から同地裁で開かれる予定です。